2010/04/03

引っ越してきたかわいい子

T字路を右に曲った駐車場の脇にできたアパートって
屋根全部が太陽光発電でおどろいちゃった。
ウチの3倍くらいのパネルが載っているらしいんだ。
幼稚園に行ってる女の子がいてステキなパパとママがいて
小さなお庭でハーブとか育ててる。


このあいだのお休みの日にジョンと散歩したら
女の子がパパに自転車を教えてもらってた。
補助輪ついてるちっちゃい自転車で。
ワタシもあんなふうに教えてもらったんだよね。
パパじゃなくて叔父さんにだけど。
その女の子、ジョンのこと指さして
「あーとーとーちゃんだぁっ」だって。
ワタシがはじめてジョンを見たときも
「あっ、トートーみたいっ」って思ったから
あの女の子と仲よくなれそう…
こんど「オズの魔法使い」のDVD貸してあげるんだ。
叔父さんがくれた昔のやつ。
春休みがおわるまでに、キョウコちゃんも誘って
あの女の子と遊ばなくちゃ。
ソラくんはNGね。

2009/07/21

奄美大島に皆既日食おとこありけり

奄美大島のおじさまのホームページを見たら、明日の皆既日食を前に、真っ青な空の写真が載っていて、なんだかワクワクしちゃった。



東京は、雨。明日の予報は曇り。ネットでライブ中継だのみなんて(>_<)。


おじさまは、「皆既日食記念切手」の写真を提供してるし、「日食おとこ」になっちゃったみたい。いまのところ、天気はよくないようだけど…でもお天気って変わるから…。明日、奄美大島の皆既日食撮影がぶじにいきますように。

2009/07/10

現地ボランティア募集\(^O^)/

FoE Japanの今年の[砂漠緑化プロジェクト]の案内!
http://www.foejapan.org/desert/doc/20090701.html
来年になるか再来年になるか、ワタシの夢のひとつです。

励みにしたいからwebの案内、丸ごとコピーしちゃいます↓


砂漠緑化プロジェクトでは、夏の期間、現地で活動のサポートをするボランティアを募集します。
現地スタッフ(※)に同行し、苗木の手入れ、苗畑の管理などの作業をしていただくほか、各活動地でのコーディネート、調査・聞き取り・記録などお手伝いしていただきます。  知識や経験を問いません。現地での活動サポートを通じて、砂漠緑化のおもしろさ、むずかしさを体験してみませんか。ご応募お待ちしています。
【募集人数】 1~2名
【業務内容】現地スタッフのサポート 
  …苗木の手入れ、ツアー準備、フィールド調査、写真・ビデオ撮影など
【勤務地】 中国・内モンゴル自治区通遼市 ホルチン砂漠
【勤務期間】  8月1日~9月上旬のうち10日以上滞在できる方。8月前半できる方歓迎(応相談)
【待遇】 渡航費、海外旅行保険は自己負担。宿泊はFoE Japan 負担。食費補助あり。
【応募資格】・ 大学生以上
・ 砂漠緑化活動に関心を持ち、熱意を持って取り組める
・ 健康で体力に自信があり、異なる環境に適応できる
・ 多様な人々とうまくコミュニケーションできる
・ 樹木・緑化・農業等の技術あれば尚可
【応募方法】
履歴書、応募理由(1000字程度)と、滞在希望期間をEmail、または郵便にてお送りください。 書類審査後、面接にて決定します。
【応募締切】2009年7月16日
【応募先・問合せ】 FoE Japan 砂漠緑化プロジェクト 和田
 Email: wada@foejapan.org
 住所:  〒171-0014 東京都豊島区池袋3-30-8 みらい館大明1F

FoE Japanは「地球環境と人びとの暮らしを守る国際環境NGO」で、読みやすくてわかりやすい記事やスタディ・ツアー企画やイベントがたくさんあるのでけっこうコマメニのぞいてます。いまちょと気になってるのが2つあって、1つは温暖化と音楽のイベントで「MAKE the RULE」案内は[この夏、MAKE the RULEは、音楽イベントを通して、キャンペーンの裾野を広げます。8月5日の夜は、六本木のイベントスペースに、DJ・Sascha(サッシャ)と2組のバンド、温暖化問題の専門家を迎え、熱いトーク&ライブを繰り広げます。 英国の気候変動法の成立に大きな影響を与えた市民キャンペーン「THE BIG ASK」のスポークスマンとして活躍したレディオヘッドのトム・ヨークが地球温暖化問題について語る秘蔵DVDも上映]


もう一つは、ドイツの環境体験ツアー。
案内は[ドイツはなぜ「環境先進国」と言われるのでしょうか?どんな人たちがどのようにそれを推し進めてきたのでしょうか?国際環境NGO FoE Japanの「環境先進国ドイツ・スタディツアー」では、廃棄物、エネルギー、交通、自然保護、環境教育など様々な分野における市民、事業者、行政の取り組みを視察、体験し、ドイツの持続可能な社会システムやまちづくりを多角的に捉えます]

その夏のできごと


バラス島って知ってる?
真っ青な海にぽつんて浮かんだ真っ白な綿菓子みたいなとこ。
西表島(いりおもてじま)っていう沖縄の八重山諸島にある島にあるサンゴの殻でできた小さな島で、ワタシは中学の時に叔父さんに連れていってもらったの。「ニッポンのガラパゴスって言われてるんだぞ」なんて叔父さんが「自慢?」してたのがおかしかった。石垣島から船で行くんだけど、その船がものすごいスピードで、びっくりしたことおぼえてる。



本土とは違って「熱帯雨林気候」で、島のいろんなところにマングローブの林があるのね。日本のマングローブは全部で7種類あって、ぜんぶそろっているのは西表島だけなんだって…。それと、樹ぜんぶが根っこでできているみたいなサキシマスオウノキも。ロビンソン小屋っていうのをやっている叔父さんの友だち↓がカヌーで案内してくれたときに教えてもらった樹齢400年で20mもあるサキシマスオウノキ↓にはほんとーに驚いちゃった。板の根、って書いて「ばんこん」って読むらしいけど、字のまんまなのがオカシイ。





http://homepage3.nifty.com/robinsongoya/
↑ロビンソンは島のことなんでも知っていて、いろんなところに案内してくれたけど、いちばん印象に残っているのが「バラス島」。クーラーボックスにたっぷり飲み物入れて、ロビンソン自慢のランチも持って、船で行ったんだけど…真っ白に見えたのは、ぜんぶサンゴの殻で、潮の流れの関係で集まって島みたいになったんだって、ロビンソン。満ち潮の時は海に沈んじゃうんだって笑ってた。はだしだと足が痛くて歩けないくらい、サンゴの殻ってゴツゴツしてるんだよ。ちょっと潜るとサンゴ礁だから、魚がたくさんいてアセッタ(・_・;)樹とかまったくないから海から上がると暑くて暑くて、ロビンソンが船から出してくれたおっきなパラソルが天国だった。



そのパラソルの下で叔父さんが、「なみ、樹があったらうれしいって思うだろ」って笑ったの。「砂漠って、このバラス島みたいなもんだよな」って。そのときからかな…いつか叔父さんみたいにこのバラス島みたいに美しいけど一本の樹も緑もないところに、小さな木かげができたり、横になって休める草のある場所ができたら、どんなにステキだろうって考えるようになったのは…



西表島から帰って、少したったころ叔父さんが一冊の絵本とビデオを持ってきてくれたのね。絵本は「地球の秘密」↓



坪田あいかちゃんていう小学6年生の女の子が、アース君ていうキャラクターが出てくる環境問題を描いてるんだ…。あいかちゃんは、絵本を描いてすぐに亡くなったんだって。ホームページにはこんなことが描いてあります。
http://www.aikaeye.com/earth.htm



ビデオは、1992年にブラジルのリオ・デ・ジャネイロで開かれた国連の地球環境サミットで、12歳の女の子が6分間のスピーチをしたときの記録。「Rio de Janeiroの伝説のスピーチ」って呼ばれているんだって。


セヴァン・スズキっていう人で12歳なんだよ!左から2番目↑の人がその少女です。このスピーチを日本の「ナマケモノ倶楽部」というところが翻訳してくれているので、長いけどここに引用しておきます。

「 こんにちは、セヴァン・スズキです。エコを代表してお話しします。エコというのは、子供環境運動(エンヴァイロンメンタル・チルドレンズ・オーガニゼェーション)の略です。カナダの12歳から13歳の子どもたちの集まりで、今の世界を変えるためにがんばっています。あなたがた大人たちにも、ぜひ生き方をかえていただくようお願いするために、自分たちで費用をためて、カナダからブラジルまで1万キロの旅をして来ました。

 今日の私の話には、ウラもオモテもありません。なぜって、私が環境運動をしているのは、私自身の未来のため。自分の未来を失うことは、選挙で負けたり、株で損したりするのとはわけがちがうんですから。

 私がここに立って話をしているのは、未来に生きる子どもたちのためです。世界中の飢えに苦しむ子どもたちのためです。そして、もう行くところもなく、死に絶えようとしている無数の動物たちのためです。

 太陽のもとにでるのが、私はこわい。オゾン層に穴があいたから。呼吸をすることさえこわい。空気にどんな毒が入っているかもしれないから。父とよくバンクーバーで釣りをしたものです。数年前に、体中ガンでおかされた魚に出会うまで。そして今、動物や植物たちが毎日のように絶滅していくのを、私たちは耳にします。それらは、もう永遠にもどってはこないんです。

 私の世代には、夢があります。いつか野生の動物たちの群れや、たくさんの鳥や蝶が舞うジャングルを見ることです。でも、私の子どもたちの世代は、もうそんな夢をもつこともできなくなるのではないか?あなたがたは、私ぐらいのとしの時に、そんなことを心配したことがありますか。

 こんな大変なことが、ものすごいいきおいで起こっているのに、私たち人間ときたら、まるでまだまだ余裕があるようなのんきな顔をしています。まだ子どもの私には、この危機を救うのに何をしたらいいのかはっきりわかりません。でも、あなたがた大人にも知ってほしいんです。あなたがたもよい解決法なんてもっていないっていうことを。オゾン層にあいた穴をどうやってふさぐのか、あなたは知らないでしょう

 死んだ川にどうやってサケを呼びもどすのか、あなたは知らないでしょう。絶滅した動物をどうやって生きかえらせるのか、あなたは知らないでしょう。そして、今や砂漠となってしまった場所にどうやって森をよみがえらせるのかあなたは知らないでしょう。

 どうやって直すのかわからないものを、こわしつづけるのはもうやめてください。

 ここでは、あなたがたは政府とか企業とか団体とかの代表でしょう。あるいは、報道関係者か政治家かもしれない。でもほんとうは、あなたがたもだれかの母親であり、父親であり、姉妹であり、兄弟であり、おばであり、おじなんです。そしてあなたがたのだれもが、だれかの子どもなんです。

 私はまだ子どもですが、ここにいる私たちみんなが同じ大きな家族の一員であることを知っています。そうです50億以上の人間からなる大家族。いいえ、実は3千万種類の生物からなる大家族です。国境や各国の政府がどんなに私たちを分けへだてようとしても、このことは変えようがありません。私は子どもですが、みんながこの大家族の一員であり、ひとつの目標に向けて心をひとつにして行動しなければならないことを知っています。私は怒っています。でも、自分を見失ってはいません。私は恐い。でも、自分の気持ちを世界中に伝えることを、私は恐れません。

 私の国でのむだ使いはたいへんなものです。買っては捨て、また買っては捨てています。それでも物を浪費しつづける北の国々は、南の国々と富を分かちあおうとはしません。物がありあまっているのに、私たちは自分の富を、そのほんの少しでも手ばなすのがこわいんです。

 カナダの私たちは十分な食物と水と住まいを持つめぐまれた生活をしています。時計、自転車、コンピューター、テレビ、私たちの持っているものを数えあげたら何日もかかることでしょう。

 2日前ここブラジルで、家のないストリートチルドレンと出会い、私たちはショックを受けました。ひとりの子どもが私たちにこう言いました。

 「ぼくが金持ちだったらなぁ。もしそうなら、家のない子すべてに、食べ物と、着る物と、薬と、住む場所と、やさしさと愛情をあげるのに。」

 家もなにもないひとりの子どもが、分かちあうことを考えているというのに、すべてを持っている私たちがこんなに欲が深いのは、いったいどうしてなんでしょう。

 これらのめぐまれない子どもたちが、私と同じぐらいの年だということが、私の頭をはなれません。どこに生れついたかによって、こんなにも人生がちがってしまう。私がリオの貧民窟に住む子どものひとりだったかもしれないんです。ソマリアの飢えた子どもだったかも、中東の戦争で犠牲になるか、インドでこじきをしてたかもしれないんです。

 もし戦争のために使われているお金をぜんぶ、貧しさと環境問題を解決するために使えばこの地球はすばらしい星になるでしょう。私はまだ子どもだけどこのことを知っています。

 学校で、いや、幼稚園でさえ、あなたがた大人は私たちに、世のなかでどうふるまうかを教えてくれます。たとえば、

* 争いをしないこと
* 話しあいで解決すること
* 他人を尊重すること
* ちらかしたら自分でかたずけること
* ほかの生き物をむやみに傷つけないこと
* 分かちあうこと
* そして欲ばらないこと

 ならばなぜ、あなたがたは、私たちにするなということをしているんですか。

 なぜあなたがたがこうした会議に出席しているのか、どうか忘れないでください。そしていったい誰のためにやっているのか。それはあなたがたの子ども、つまり私たちのためです。あなたがたはこうした会議で、私たちがどんな世界に育ち生きていくのかを決めているんです。

 親たちはよく「だいじょうぶ。すべてうまくいくよ」といって子供たちをなぐさめるものです。あるいは、「できるだけのことはしてるから」とか、「この世の終わりじゃあるまいし」とか。しかし大人たちはもうこんななぐさめの言葉さえ使うことができなくなっているようです。おききしますが、私たち子どもの未来を真剣に考えたことがありますか。

 父はいつも私に不言実行、つまり、なにをいうかではなく、なにをするかでその人の値うちが決まる、といいます。しかしあなたがた大人がやっていることのせいで、私たちは泣いています。あなたがたはいつも私たちを愛しているといいます。しかし、私はいわせてもらいたい。もしそのことばが本当なら、どうか、本当だということを行動でしめしてください。

 最後まで私の話をきいてくださってありがとうございました」

ね、ワタシがどうして感動しちゃったか、わかるよね。叔父さんがビデオを見せてくれたとき、ワタシは13歳。ワタシより年下の女の子がって思ったら、なんかものすごく元気もらったみたいで興奮しちゃった。ビデオを見たい人は↓
http://www.youtube.com/watch?v=C2g473JWAEg
そのあとで「絵本」にもなったよ↓



タイトルは「あなたが世界を変える日」。ワタシもいつか世界を変えられたら、って思います。そういえば彼女がスピーチしたリオ・サミットって、このごろよく聞く地球サミット(the Earth Summit、国連地球サミット)の第1回目だったんだよね。

2009/07/08

砂漠ライフ、変更?

on-lineニュース読んでたら「サハラ砂漠のソーラーブリーダー構想」っていうのを見つけました。砂漠を緑化するだけじゃなくって太陽パワーをぜんぶ取り込んでしまうわけだから、なんだかものすごい計画だなぁって。大学に入ったら叔父さんみたいに「砂漠緑化プロジェクト」の仕事を手伝いたいって考えてたけど、ワタシの将来、ちよっと違った「砂漠ライフ」もあり? ちょっと長くなるけど、その記事、引用しておきます↓

++++++++++++++++++++++++++++++++++++
サハラ砂漠を太陽発電基地に (日経産業新聞 科学技術部記者 黒川卓)
[日本の技術力を使えば、石油や石炭、ウランなどの燃料を使う発電所を
世界からすべて撤去することができそうだ。地球上の砂漠の約4%の面積に太陽電池を設置し、
太陽電池同士と人の居住地を送電時に電気が減らない超電導ケーブルで結ぶ。
日が照る場所は季節や時間帯で変わるが、送電網の中は常に電気で満たされる。
燃料を補給する必要はなくなるのだ。

6月30日、日本の科学者の最高機関である日本学術会議で「サハラソーラーブリーダー(SSB)計画」と題する公開シンポジウムが開かれた。会場には科学者や技術者、企業関係者など約200人が集まった。SSB計画は、アフリカのサハラ砂漠を皮切りに日本と現地の産業と科学、政府関係者が協力して砂漠に太陽電池工場を建設し、工場周辺に太陽電池を設置する計画。



砂漠の砂にはシリコンの原料となる酸化シリコンが豊富に含まれる。砂漠の工場で高純度のシリコンを精製し、いっきに太陽電池まで作ってしまう。サハラに続いて他の地域の砂漠にも同様の設備を造る。仕上げは超電導ケーブルでの接続だ。2050年までに二酸化炭素(CO2)の排出量を今の半分にすることを目指している。



荒唐無稽(こうとうむけい)に聞こえるかもしれないが、実はこの計画は今月、イタリアのラクイラで開く主要国首脳会議(サミット)に先立ち、6月11日に学術会議の金沢一郎会長と唐木英明副会長が、麻生太郎首相と野田聖子・内閣府特命大臣に伝えた。唐木副会長は「個人用資料として持参したSSB計画書を首相に手渡したところ、野田大臣まで『私にもいただけませんか』と言われ、2人ともたいへん興味を持ってくれた」と話す。今年3月にローマでサミット本番の前哨戦であるアカデミー会合が開かれた。「エネルギーと気候変動」という内容に関して、学術会議の連携会員でSSB計画の立案者である物質・材料研究機構の鯉沼秀臣特別顧問が内容を説明。「参加者から賛同を得た」(鯉沼特別顧問)。唐木副会長が6月に総理に手渡したのはこの資料だった。残念ながら3月のアカデミー会合で決まった参加国の共同声明文にはSSB計画について触れられていない。しかし声明文にCO2を削減する具体的技術も書いてない。一体どうやってCO2を減らすのか触れられていないのはどう考えてもおかしな話だ。シンポジウム後の懇親会では、「日本の隠し玉として、サミット本番で麻生首相の口からSSB計画の内容を紹介してほしい」と期待する声が聞かれた。実は、SSB計画のベースは三洋電機の桑野幸徳元社長が1989年に提案した「GENESIS計画」。内容はほぼ同じだが、今回はスタート地点にサハラ砂漠を選んだことで「SSB計画」と名づけられた。さらに、東京大学理学系研究科はサハラ砂漠でなく、南米チリのアタカマ砂漠で同様の計画「SolarTAOプロジェクト」を今年スタートさせた。学術会議のシンポジウムではSolarTAO計画の責任者である東大の吉井譲教授が講演。「まずSolarTAOでベースをつくってSSBにつないではどうか」と提案した。



SSB計画とSolarTAOプロジェクトでは太陽電池と超電導の関係者が相当に重なっている。「両方同時に進めようとすれば両方とも中途半端になるかもしれない」と心配する声もあるが、世界の砂漠を早く獲得して日本の高い技術力を示すには、もたもたしてはいられない。専門の科学者、技術者を総動員してでも同時にスタートすべきだろう。アフリカと南米にまず拠点を作り、オセロゲームのように世界中の砂漠に日本製の太陽電池と超電導ケーブルを張りめぐらせてほしいものだ]

日本学出会議のHPでSSBのことを調べたら↓こんな記事がありました。それにしても世界の砂漠の4%だけで世界の全エネルギー需要をつくりだす、って、なんだか夢みたいだけど、スゴイ!! 超電導ってリニアモーターカーとかで聞いたコトあるけど、こんなふうに使われこともあるんだ(◎_◎)
[2005年7月の英国グレンイーグルスでのG8サミット以来、G8(日、米、英、仏、独、カナダ、イタリア、ロシア)+ 5(インド、中国、ブラジル、南アフリカ、メキシコ)諸国の学術会議はサミットの1~数ヶ月前に集まり、1~2の主要議題を取り上げて協議し、サミットに向けた声明を採択し勧告してきた。昨年7月の洞爺湖サミットにむけたG8+5学術会議は3月に東京で開かれ、6月に声明:1)気候変化:適応策と低炭素社会への転換、2)Global Healthを発した。本年(2009)は、3月末にローマで学術会議G8+5に加えてエジプトがオブザーバー参加して開かれ、当初の主要議題として、1) New technologies for energy および 2) International migration が設定された。日本学術会議(SCJ)は、テーマ1)のエネルギー問題について、” Sahara solar breeder plan directed towards global clean energy superhighway” と題した提案を発表した]

2009/07/07

梅雨明けしたんだって…



奄美大島、梅雨明けしたんだって。叔父さんのともだちのオキさんのウェブに出てた昨日の写真。こんなの見せられたらソッコウで海行きたくなっちゃう。期末テスト終わったら夏休みだけど、行きたいよぉ。前に叔父さんが連れていってくれたのが5年前のちょうど今ごろ。小学生だし、いいよ休んじゃおう、って叔父さん。金曜の午後早退して3泊4日。月曜はお休みしちゃったけど、友だちみんなにうらやましがられた。夏休みじゃなかったし梅雨明けしたばかりだったせいか人がいなくて原生林も海も貸し切りっぽくてうれしかった。七夕に帰ってきたから、そっかちょうど今日まで行ってたんだ。今夜は満月。たしか4年前は新月で、学校で習った月の満ち欠け表の新月が細い線でカタチを描いてあったことを知ったかぶりして話したら、大笑いされた。七夕が満月だと、星が見えにくくなるけどダイジョウブなのかな織り姫は…七夕伝説のこと詳しく知りたくなったのでウェブを見たら【七夕伝説のおこりは中国です。もともとは、中国の織女(しょくじょ)牽牛(けんぎゅう)の伝説と、裁縫の上達を願う乞巧奠(きこうでん)の行事とが混ざりあって伝わったものといわれています。織女と牽牛は夫婦なのですが、仕事をせずに遊んでばかりいたので、1年に1日のデート以外は仕事、仕事の毎日を強制されるという儒教的思想の色濃いお話。昔の農民が「仕事、仕事」の毎日を哀れむために作ったのが七夕伝説の最初なのではないかといわれていますが、中国の後漢のころ(1〜3世紀)には作られていたようです。日本へは遣唐使などによってもたらされ、日本に従来からあった棚機津女(たなばたつめ)の信仰とが混ざってできたとされています。もっとも、その他にも琉球地方には羽衣伝説などと混ざった形で七夕伝説が伝承されており、正確にいつ日本に伝わったかは定かでありません。江戸時代には、書道学問の上達を願う行事となり、また、おり姫星とひこ星を引き合わせるため、たらいに水を張り、そこに2つの星を反射させてわざとたらいをゆらし、2つの星があたかもくっついたようにすることも行なわれていたようです】http://www.astroarts.co.jp/special/tanabata/legend-j.shtml
たらいに水をはって揺らしてくっついたように見せた…っていうのが気に入ったので、今夜、庭の水盤で試してみるつもり。
今年は国内だと46年ぶりっていう皆既日食のスゴイのが見られるから、きっと大にぎわいになるんだろうなぁ。東京だと食のはじまりが09時55.5分、食の最大が11時13.0分、食の終わりが12時30.3分、最大食分が0.749らしいから半分以上かける部分日食が見られそう。古河もおんなじくらい? 【太陽の形に加えて、空が暗くなる、気温が変化する、動植物が反応する、などの変化を観察できます】なんて書いてあるのを読むと、今からドキドキしちゃうよ。


奄美にいて、もし原生林

【金作原原生林は奄美大島を代表する森で、奄美市名瀬から宇検村までの奄美大島の背骨に相当する場所を通る奄美中央林道の、奄美市名瀬と住用町(旧・住用村)と大和村の境に位置する原生林です。深い照葉樹に覆われた森の中に、亜熱帯を代表するヒカゲヘゴが道沿いにそびえたち、様々な植物を観察できます。残念ながら昼間はアマミノクロウサギは出没しませんが、どんな森に住んでいるのか感じて下さい。また野鳥観察には森が深すぎて視界がよくないので観察は難しいのですが、繁殖期を中心に鳴き声を聞くことができます。またキノボリトカゲなども遭遇するかもしれません】http://www.amami.com/photo/kinsakubaru/index.html
この原生林叔父さんとトレッキングした時のこと想像すると、歩いているときに皆既日食とかになったら、ひーっ、こわそー。




オキさん、お元気かなぁ。また行きたいなぁ。









↑↓4年前に叔父さんが撮った奄美大島の3泊4日のビデオ。


↓のイラストと多様性の説明は「奄美諸島を世界遺産へ」のホームページhttp://www.amami.or.jp/isan/jap/nature.htmlから「生物多様性」についてコピーしたました。遊びに行った4日間だけでも、動物も昆虫も植物も、びっくりするくらい濃密に生きている感じがあったこと、今でもはつきり記憶してます。世界のいろいろな機関から「生物多様性」のホットスポットとしてリストアップされているのも、だから納得。


【国際的希少種や固有種の生息・生育地であること、種多様性に富むサンゴ礁生態系が見られることから、生物多様性保全上の重要な地域として世界的に評価されている。また、奄美群島を含む南西諸島は、ウミガメ類・海鳥類の繁殖地、渡り鳥の中継地など、広域を移動する種群を維持する上でも重要な地域である。
コンサーベーション・インターナショナル “生物多様性ホットスポット”
日本列島がホットスポットに選定され、その中で特に、絶滅のおそれがある固有属のアマミノクロウサギ、ケナガネズミの生息地として、奄美群島を評価している。また、日本列島は爬虫類・両生類の固有性が高いが、特に奄美群島を含む南西諸島は、在来種における固有種の割合が、爬虫類で約85%、両生類で約77%と高い。絶滅が危惧される重要な種としてクロイワトカゲモドキを挙げている。
バードライフ・インターナショナル “重要野鳥生息地”
世界的に絶滅が危惧される種、または全世界で保護の必要がある種 としてルリカケス(固有)、オオトラツグミ(固有)、アマミヤマシギ(固有)が挙げられており、奄美群島はこれらが定期的・恒常的に多数生息している生息地として選定されている。また、生息地域限定種(Restricted-range species )として上記3 種に加え、リュウキュウコノハズク、カラスバト、ズアカアオバト、リュウキュウサンショウクイ、アカヒゲの8 種が、相当数生息する地域として選定している。
世界自然保護基金 “エコリージョン グローバル200”
奄美群島を含む、南西諸島の「森林生態系(エコリージョン32)」と「沿岸生態系(エコリージョン217)」が選定されている。
森林生態系
亜熱帯の島嶼群で見られる固有性の特異的な事例として、亜熱帯林とそこに生息・生育する、多数の固有植物種、固有鳥類が評価されている。世界的にこの地域だけに生息する遺存固有種として、アマミノクロウサギを挙げている。
沿岸生態系
極めて孤立しており、特異な種の進化を可能にする地域として選定している。この地域のサンゴ礁の多様性は、多くの固有魚類や海鳥、海獣類の個体群を支えている、と評価している。
コンサーベーション・インターナショナル“サンゴ礁ホットスポット 世界上位10海域ファクトシート”
世界で最も種多様性に富むサンゴ礁が見られる、として奄美群島を含む「日本南部・台湾・中国南部のサンゴ礁」を選定している】

2009/07/06

♪日曜はダメよ*^_^*



↑のビデオは今年の春、4月のはじめに叔父さんが帰ってきたときに近所の古河総合公園で撮ったやつ。旧飛田家住宅(きゅうとびたけじゅうたく)っていって18世紀前半の曲屋形式農家建築なんだって。重要文化財に指定されてるらしいよ。春は海棠の花が満開で、なんだか桃源郷みたいだよな、って叔父さん。18世紀前半だから、300年近く建ってる?それってスゴクない?さいきん200年住宅とか長期優良住宅とか新聞に出てるけど、ここなんてほんと今でも人が住めそうだし、なんかリアル。みんなこんなふうに長く使えたらエコライフそのもの?
同じ敷地に「古河公方」という偉い人が住んでたらしい。ママは暦女だからこういうのが大好きで、この間なんか「風魔」っていう戦国ものの上下2巻もあるながーい小説↓を「これよこれよこれなのよっ」て一人で興奮しまくって読んでたよ。古河公方って130年くらい続いてたらしいけど、その最後のひとりが「氏女」とかいう女の人で、ママの読んでた小説は、その女の人がステキに描かれてるらしいんだ…



「古河公方」が大事な登場人物で、その人が暮らしていた「公方様の森」が部隊のひとつになってるらしいよ。公園のHPにはあっさりしか書いてないけど↓ママ的にはたいへんなことだったらしい。なんせママは生粋の古河っ子だし、ね。

「鎌倉公方足利成氏(あしかがしげうじ)は、1455年古河に移り、この台地に館を構えました。以降、「古河公方」と呼ばれ、五代にわたり約130年間、関東に一大勢力を誇りました。古河公方館趾の石碑の東西には、当時の堀と土塁が、跡をとどめています。 周囲を沼に囲まれたイヌシデやコナラを主体とした雑木林には、水面に反射した光が、明るく差し込みます。 早春にはアカゲラの木をつつく音がこだまし、夏には緑陰を楽しむ人が訪れ、紅葉の頃にはサクサクと落ち葉をふみしめる音が小気味よく響きます」



↑これはウェブで見つけた八犬伝に出てくる足利成氏(あしかがしげうじ)。おんなじ人かどーかは不明。でもかっこいい。

この森は、6年前にユネスコとギリシャ主催のメリナ・メルクーリ国際賞を受賞したんだよ。
なんか、鎌倉時代のデキゴトが今につながってて、しかも「公方がここの地形を選んだということ自体が文化であるが」なんて受賞理由に書いてあったりして、小さいときから遊び場所にしてた所だから、なんかすごくふしぎ。メルナ・メルクーリって「日曜はダメよ」っていう1960年頃の古い映画で、有名な女優だし、たしか主題歌が大ヒットしたらしいよってママが。タナカのおばさまにこんど聞いてみるつもり。同級の剣道部万年補欠のコムサシのママ、ヨーロッパの古いことにすっごく詳しいから。



↓は公園HPの説明からコピーしました。
受賞理由として「東京から60km の強い開発圧力に耐えた文化景観保護]との総括コメントのほか,以下の点で高い評価を受けた。
(1)消滅した沼の復元による自然と文化の再生
公園の中央に位置し三方を沼(御所沼)に囲まれた台地(公方様の森)は,中世に古河公方が館を構えた場所である。公方がここの地形を選
んだということ自体が文化であるが,その御所沼は,戦後の食料増産に伴い埋め立てられていた。公園づくりでは,建設当時よりこの復元を掲げ、約四半世紀を費やして沼の環境を取り戻しつつあり,この姿勢とたゆまぬ努力が高く評価された。
(2)四季折々の自然に親しむ市民の営み
桃まつり,月見会,茶摘み,野点など我が国の庭園文化を継承する野遊びが,世界的に大変高い評価を得た。古河総合公園では,「古河総合公園づくり円卓会議」やパークマスターなどが取り組んできた市民と行政との協働による公園づくりによって,ふるさとを代表する景観と営みを創出しつつある。
(3)自然と人間との多様な接触を生むデザイン
古い農家の復元,金属製の橋やガラスの館,コンクリートの造形物など,自然や歴史を大切にしながら白然との対決をも内包する。ユニークなデザインが評価された。土地のイメージが込められた地名碑,自然への侵犯としての片岡崩しの丘,農の景としての茶畑や水田,保全し
ている沼や森など,自然と文化に対する融合的な態度が理解された。

<メリナ・メルクーリ国際賞の創設と経緯>
メリナ・メルクーリ国際賞は,1992 年にサンタフェで開催された第16 回世界遺産委員会において文化景観の保護が現代における優先分野の一つとして認識されたことを受け,ギリシャの文化人臣,女優であり景観保護と持続的開発の分野での先駆者であるメリナ・メルクーリ氏にちなんで設けられた。 1999 年に第1回の受賞が行われ,2年毎に授与されている。
<目的>
世界の主要な文化景観の保護と管理を目的とした顕著な活勤に対してその功績を称えることを目的としている。

↓「日曜はダメよ」のポスター、ウェブで見つけました。それとオーケストラ付映画案内も。
http://europe.eigajiten.com/nitiyou.htm


もしちょっとだけ「日曜はダメよ」を観たかったら↑タイトルをクリックするとYouTubeでちよっとだけ雰囲気が…
http://www.youtube.com/watch?v=uhbLsNsQo7A

2009/07/05

2000年の眠りから覚めた?大賀(オオガ)ハス





家の近くの公園に蓮の池があって、夏になるとものすごく大きな蓮の花が咲きます。大賀ハスっていうんだって。わんとに新潮より高く咲いてるのもあるから、教えてあげるとみんなびっくりするみたい。ワタシは小さいときからいっつも行っててなれてるんだけど、でもやっぱり驚いちゃう(◎_◎)



公園のホームページにこんなことが書いてあったからコピーします。
「オオガハスは、1951年に大賀一郎博士によって種子が発見され、2000年もの眠りから目覚めました。そして、アメリカの科学雑誌「LIFE」に紹介されて、世界中の話題となりました。発見地の千葉市では、市の花に指定されています。古河総合公園では、開園間もない昭和50年に蓮根をいただいて、以来30年以上、大事にしています」
こっちはWikiかにコピー↓
「大賀ハス(オオガハス、おおがはす)は、1951年(昭和26年)、千葉県千葉市検見川(現・千葉市花見川区朝日ケ丘町)にある東京大学検見川厚生農場(現・東京大学検見川総合運動場)の落合遺跡で発掘された、今から2000年以上前の古代のハスの実から発芽・開花したハス(古代ハス)のこと」
「原産地はインド亜大陸とその周辺。地中の地下茎から茎を伸ばし水面に葉を出す。草高は約1m、茎に通気のための穴が通っている。水面よりも高く出る葉もある(スイレンにはない)。葉は円形で葉柄が中央につき、撥水性があって水玉ができる(ロータス効果)。花期は7~8月で白またはピンク色の花を咲かせる。インドの国花。
園芸品種も、小型のチャワンバス(茶碗で育てられるほど小型の意味)のほか、花色の異なるものなど多数ある。
ハスの花はレンゲ(蓮花)と呼ばれ、7月の誕生花であり、夏の季語。七十二候の小暑(7月7日ごろ)には、次候に「蓮始開(蓮の花が開き始める)」とある。花言葉は「雄弁」。早朝に咲き昼には閉じる」
「ナノテクノロジーの分野では、塗料、屋根材、布などの表面でロータス効果を再現し、それらを乾燥したきれいな状態に保つ方法の開発が行われている。これは通常、フッ素化合物やシリコーンで表面を処理することで達成される。ポリエチレングリコールにグルコースやスクロースを組み合わせることでも同様の効果が得られる。今ではこの方法により自己洗浄を行う塗料や、温室の屋根に使うようなガラス板にロータス効果を持たせたものも市販されている。
超撥水性を得るため、ある方法では、洗浄したアルミニウムのブロックの表面を水酸化ナトリウム水溶液に2時間浸し、水洗・乾燥後にスピンコーティング法で厚さ約2ナノメートルのパーフルオロノナン (C9F20) の膜を張った。これにより水滴との接触角が 67°から 168°に増大し、この効果はカッシーの式 (en:Cassie's law) によって説明された」
ねっ、なんかすごいでしょ?
それと次の日のお昼に撮ったハスは↓ほんとうに身長より大きいのわかる?叔父さんが言ってたけど砂漠の国の友だちに見せたときに、なかなか信じてもらえなかったんだって…コンピュータグラフィックスだろうって。その人、ニッポンに来て蓮池に行って、朝早くにポン!って音たてて花が開くところ見たら、なんていうだろう? neo Japanesque!? 考えるとおかしい。



去年の夏に叔父さんが日本に帰っていたとき、ちょうど花火大会があって、ニッポンの花火とタイガハスを砂漠緑化の仲間に見せてやろう、ってビデオカメラに撮ってYouTubeにも公開したんだよ↓
http://www.youtube.com/watch?v=d2PZ3rImdGE
それと「花火大会」も↓。
http://www.youtube.com/watch?v=EGLL6xqQzQE
この花火大会は「古河花火大会」の第3回目で、去年の夏。天気も良かったからきれいに撮れたって喜んでた。家から15分くらい自転車で行ったとこの河川敷で、今年も8月1日にやるんだよ。ワタシはいつも浴衣でいくの。去年はおじさんに「おっ女っぽくなったな」ってほめられた。そのあとで「砂漠が長いからな、おれ」って言ったのも聞こえたけど、そっちはとうぜんムシ。




念のため、叔父さんの写真も載せとくね。、

この写真、アフリカのなんとかいう砂漠で撮ったらしい。砂嵐が吹くと、髪の毛とかおヒゲのなかに砂粒がいっぱい入っちゃうんだ、だけどヒゲがあるほうが痛くないんだよ、って笑ってた。叔父は樹医。樹のお医者さんです。名前はヒロシ。砂漠ばっかり行ってるのに、なぜか趣味は学生時代からサーフィン。独身だよ(*^O^*)
前にも書いたけど[百年の愚行]をワタシにくれた叔父さんで、前に西表島に連れてってくれた人でもあったりします。星のこととか月の話とかすっごくくわしくて、こどもの頃から仲がいいんだワタシタチ。こばやしさんちのキョウコちゃんと行く予定のツバルのエコツアーも、叔父さんが連れていってくれることになってる。つ、ば、る…

2009/07/03

極私的エコハウス?


うちはなぜか太陽光と燃料電池のダブル発電。どうしてそうなったかというと、おじいちゃもパパも新しもの好きで、ハイブリッドカーも出てすぐに乗ってたし、このあいだもソーラーパネル付きが出たときに真っ先に予約してた。それとおじいちゃまやおばあちゃまと一緒のいわゆる「2世帯住宅?」だから、一日中だれかしら家にいるし、ママがお料理に凝っちゃってるしで、電気つくりながらお湯もつくれちやうとかいわれて即決めてた。で、エコハウス。

みんなモニター見るのが大好きになっちゃったことが、ちょっとふしぎです。今日はどうかな、なんてなぜか気になるんだなぁ。このバラのアーチ、裏の小道のところを「バラの小道」にしようってお隣のひなたさんが言い出して、去年からみんなでバラづくりをはじめたんだ…この裏道をちよっと行くとわが家でーす。そして燃料電池↓が置いてあるの。








そして↓は、わが家の太陽光発電。どこが太陽光だかわからないね、って近所の人たちから言われるけど、一体型とかいうらしくて、私もよく見ないとわからないの(‥;)






どうやって撮った写真? 土手で鳥とかチョウチョに迷惑がられてる愚行パパのラジコンヘリにデジカメ載せて…いつもは私にイヤミ言われてるのに、このときはパパ、嬉しそうだった。家のみんなも、へぇーって素直に驚いてたし…

キョーコちゃんちのベビーゴーヤ誕生!?

緑のカーテン、学校は「ヘチマ」だからいまいちピンとこなかったけど、最近はやってる「ゴーヤのカーテン」、あれ、いいと思う。南の島っぽいし、サラダにしたりできちゃうとこもワタシ的には○。それと、前に叔父さんが連れてってくれたニッポンでいちばん西にあるんだよっていう西表島で、毎日毎日食べたけど、ぜんぜんあきなかった。すんごく熱いとこなのに熱々の炒め物がすーっとお腹に入っちゃうのも、きっとあのにがっぽさ?そのとき連れてってもらったバラス島っていうサンゴの死骸でできた真っ白な島のことは、また別なときに書くけど。今日は「ゴーヤ」のこと、ね。これ、近所の後輩、小学校5年生のこばやしキョーコちゃんちの庭で育てはじめた「ゴーヤカーテン」のベビーゴーヤでーす↓




「おねーちゃん、ゴーヤ実がなったよぉ」って自転車で教えに来てくれたキョーコちゃんについてったら、なんかちいーさくてカワイらしい青いトウモロコシのこどもみたいのがなってた。2人でよく見たら、ずっと大きく育った「でかゴーヤ」も発見。「なんで気がつかなかったんだろー」ってキョーコちゃんふしぎがってた。キョーコちゃんのママが「そうよそうよそうなのよぉっ」って言いながらゴーヤカーテンをいっしょうけんめい育てたらしい。



「実がなったらなみさんのとこやコムサシくんのとこに分けてあげよう」ってなんかはりきってるらしい。キョウコちゃんのミニトマトはなかなかうまくいかないらしいけど、こばやしさんちって家庭菜園フル稼働だし垣根がわりの樹がたくさんあるし、はやくからソーラ発電だし、弟のソラくんの豆サイズ風力発電もあったり、わかりやすーいエコファミリー?なんて。で、↓はクヌギの樹に隠れたようなこばやしさんちでーす。ソラくんが自慢しているクワガタ、私も見せてもらったことあります。たなかさかちのコムサシが狙っているらしい*^_^*


2009/07/02

ミツバチとパパ



歩いて15分くらいのところに利根川の土手があって、パパはお休みになると自転車でエコツアーなんていいながらラジコンヘリを飛ばしに行く…うるさいじゃん、虫だって鳥だってカワイソーって言っても聞こえないふり。ウェブに「ミツバチが巣箱から大量失跡する「蜂群崩壊症候群」(CCD)が、2006年秋以来、欧米各地に広がっている。ふだんはパンに塗るハチミツやプロポリスなどの製品ぐらいにしか目が向かないが、たった1種の昆虫が農業を支えていたことを改めて思い知らされ、世界はミツバチ・ショックに見舞われた」石弘之:「地球危機」発 人類の未来
http://eco.nikkeibp.co.jp/article/column/20090612/101620/
って書いてあったのを読んで気になったから、話題になった「ハチはなぜ大量死したのか」↓文藝春秋社刊も図書室で借りて読んだけど、こんなふうに土手でいっしょうけんめいはちみつを集めてくれているミツバチのジャマするって、パパだめじゃん。


この本を読んだきっかけは↓の朝日新聞 2009年4月20日付 「天声人語」
「いまや死語に近いが、「月下氷人」といえば男女の間を取り持つ仲人役をさす。中国の故事に由来している。幻想的なその言葉を借りれば、果物や野菜が実を結ぶのに、ミツバチは不可欠の月下氷人なのだという。花粉にまみれて受粉の仲立ちをしてくれる。他の昆虫も媒介をするが、ミツバチの組織力は群を抜く。巣箱一つに数万匹もいるそうだ。サクランボにイチゴ、メロン……スイカもお世話になる。だが、活躍の季節なのに、今年は深刻なハチ不足が農家を困らせている。近年、ミツバチの大量死が増えていた。加えてセイヨウミツバチの輸入が、伝染病の影響などで止まっているためらしい。やむなく毛ばたきなどを使い、人工授粉でしのぐ農家も多いと聞く。収穫への影響が早くも心配されている。ミツバチの世界で、何かが起きているようだ。北米では大挙して巣箱から失踪(しっそう)する異変が広がった。原因を探った『ハチはなぜ大量死したのか』(文芸春秋)を読むと、人為でゆがんだ自然の歯車が、きしむ様子が見てとれる。『実りなき秋』が、本の英語の原題だ。人は思っているよりずっと、ミツバチをはじめ授粉昆虫の恩恵を受けているという。自然界の月下氷人が消えていけば、花は咲いても実を結ばず、むなしく萎(しお)れるばかりである。〈蜂の屍のかろく乾ける浄(きよ)らにて落花のほども媚(こ)びることなし〉斎藤史。だが北米の大失踪は、そのハチたちの死骸(しがい)も見つからぬ不可解に包まれているそうだ。小さきものの異変が、大きなほころびの兆しでなければいいのだが」
怖いくらいドキドキさせられたけど、表紙の写真がキモイのでカバー付けてとってある。番組とかでも取り上げられてて、日本でも「消えたミツバチ」があちこちで話題になっていた。






私のカバンにいつも入っている2冊の文庫本もついでに紹介しちゃいます。教えてくれたのはママ。高校一年の夏休みに「沈黙の春」を読んだのが、最初。レイチェル・カーソンっていう女性が1962年に書いた環境破壊の本だけど、ママたちはみんな読んだって言ってた。



上遠恵子という人がウェブの紹介ページに書いた文章も印象に残ってる。
「しゃにむに走り続けてきた二十世紀だった。カーソンは『沈黙の春』の最終章“べつの道”の冒頭でこう語る。“私たちは、いまや分れ道にいる。だが、ロバート・フロストの有名な詩とは違って、どちらの道を選ぶべきか、いまさら迷うまでもない。長いあいだ旅をしてきた道は、すばらしい高速道路で、すごいスピードに酔うこともできるが、私たちはだまされているのだ。その行きつく先は、禍いであり破滅だ。もう一つの道は、あまり《人も行かない》が、この分れ道を行くときにこそ、私たちの住んでいるこの地球の安全を守れる、最後の、唯一のチャンスがあるといえよう。とにかく、どちらの道をとるか、決めなければならないのは私たちなのだ”と言っている。四十年まえのこの先見性のある提言を私たちは生かして来なかったのではないだろうか」
http://www.shinchosha.co.jp/shinkan/nami/shoseki/519703.html



もう一冊もカーソン。[センス・オブ・ワンダー]↑。Amazonの案内↓コピーしときます。
「 本書で描かれているのは、レイチェルが毎年、夏の数か月を過ごしたメーン州の海岸と森である。その美しい海岸と森を、彼女は彼女の姪の息子である幼いロジャーと探索し、雨を吸い込んだ地衣類の感触を楽しみ、星空を眺め、鳥の声や風の音に耳をすませた。その情景とそれら自然にふれたロジャーの反応を、詩情豊かな筆致でつづっている。鳥の渡りや潮の満ち干、春を待つ固いつぼみが持つ美と神秘、そして、自然が繰り返すリフレインが、いかに私たちを癒してくれるのかを、レイチェルは静かにやさしく語りかけている。レイチェルが最も伝えたかったのは、すべての子どもが生まれながらに持っている「センス・オブ・ワンダー」、つまり「神秘さや不思議さに目を見はる感性」を、いつまでも失わないでほしいという願いだった。そのために必要なことは、「わたしたちが住んでいる世界のよろこび、感激、神秘などを子どもといっしょに再発見し、感動を分かち合ってくれる大人が、すくなくともひとり、そばにいる」ことだという。本文中に挿入されているメーン州の海辺、森、植物などをとらえた写真も美しい。『沈黙の春』と同様、読者の魂を揺さぶらずにはおかない1冊である。(清水英孝) 」
ここに書かれていること、ほんとうにそのままで、よく行く利根川の土手や渡良瀬遊水池のこととか思い浮かべながら読んだせいか、茨城のワタシのところの自然と、まだ行ったことのないメイン州の自然とがそのまま重なって思えたりもして大切な一冊なんだ。



叔父さんに言わせるとメイン州はスティーブン・キングの小説の舞台になることが多くて、怖い物語がいっぱいあるんだぞ、だって。で、「IT」↑っていう4冊もある文庫本をくれたのね。表紙が怖そうだからずっと読まなかったけど、今年の春休みに読みはじめたら止まらなくなっちゃって…怖いけど、とてもせつなくなる成長物語に、ワタシ的には思えた。主人公達が過ごすメイン州の少年時代の描写って、そのままカーソンの2冊につながっていく気もしたり…





ソーラー付きハイブリッドにしたりとかは素早いし、できるだけ自転車乗ってるのはエコにもメタボ対策にもOKだけど、騒音だってantiecoじゃん、中年ってそーいうとこ鈍いんだなぁ。いつか「わが家的愚行集」つくるとしたらパパのラジコン好きは最初の1ページ?

ところで春の間は芥子菜の海みたいな土手が梅雨の間に、どんなふうに変わっていくかというと…じゃーん!



こんなふうに緑一色のグリーンフィールドになっちゃいまーす。アザミとかプラックアイドスーザンとかがところどころに咲いて、カエルや虫の合唱と、鳥のさえずりがスゴイの。いろーんな音が聴こえてきて目をつむっていると自分がどこにいるのか、わからなくなったりします。パパは、こんな場所でバカでかい音のラジコン遊びしてるんだ、と思うと…やっぱ、愚行?
プラックアイドスーザン↓

[百年の愚行]




この[百年の愚行]という大型の本をくれたのは砂漠緑化プロジェクトで、一年の大半を砂の国で暮らす叔父でした。




叔父はアフリカの小さな村のキャンプで、スタッフの一人からもらったのだとか…
たくさんのひとが手にしたり砂嵐にあったりしたせいか、私がもらったときはかなり傷んでいたけど、ページを開いた瞬間に魂を奪われたような気持になったこと、いまでもはっきり覚えてる。砂漠の緑化プロジェクトにいつか参加したいと考えるようになったのは叔父の影響だったけど、[eco]というコトバ、行為に強く反応するようになったのは、この[百年の愚行]のせい、かも。



この本をつくったひとたちのことが知りたくてウェブをたどったら、[21世紀を新たな愚行の百年にしないために]というページ↓があって、
http://www.thinktheearth.net/jp/projects/
この本が[Think the Earthプロジェクト]のひとつだと知った。たくさんの人たちがメッセージを寄せていて、そのひとつひとつに刺激された。そのなかで音楽家の坂本龍一さんはこんなふうに書いている。
「過去を知ることは現在を知ることであり未来を知ることである。また未来はただやって来るものではなく、この一瞬一瞬われわれが作るものである。われわれ人間は、ホモ・エレクトゥスなどからうけついだ巨大な脳を使いこなし、過去の過ちを正しそれをくりかえさずに、より良い地球を将来世代に手渡す義務がある。20世紀に人類は科学技術を謳歌したが、同時に大量殺戮、大量廃棄、大量伐採など、自然にも人間自身にも大きなツケをもたらした。さて、これらの問題群を人類はいかに解決していくか。われわれは現在その分水嶺にいる」

それと同じプロジェクトに[live earthライブアース]っていうケータイ用のアプリがあって↓、
http://www.thinktheearth.net/jp/projects/liveearth/
太陽がつくる昼夜の影が時刻とか季節とリアルタイムで変化していくやつ。これ、私のケータイに入れて、とぎとき見てる。なんか、地球と私とがいつもつながっているみたいで、フシギな気持にさせられる。

フィールドノート一部公開

これ、私のうちのミニハーブガーデン。小さな庭だけど、ママのハーブづくりと、私のエゴマづくりを競争してます。ママは、料理好きだから、ぜんぶ食べちゃうけどね。なぜ「エゴマ」? 焼き肉屋さんでお食事したときに「これ、なに?」って聞いたら、おじいちゃまが「いまは韓国料理専門みたいに思ってるけど、昔はいろいろ使われていたらしい。戦国時代、知ってるだろ?織田信長の頃にいた斉藤道三という戦国武将が若いころに、このエゴマの油を売っていたらしいよ。その頃の日本は油を燃やして灯りにしてたんだ」って。ママは「チャングムの誓い」と「チュモン」ですっかり「歴女」になってたから、「なみさん、あなた育ててみない?」だって。



歴女のススメはともかく、家は太陽光発電と燃料電池つけてるけど、昔のニッポンの家の灯りって、こんなサラダみたいなのからとってたんだ、と思ったら、すごくおかしくて…で、栽培してみることにしたの。だってなんか、究極のバイオマスっぽいし、再生利用エネルギーそのものじゃん! ってはじめたのはいいけど、育った!と思うとママが料理に使っちゃって、まだ「エゴマ油」はできてません(‥;) 砂漠緑化の仕事でモロッコにいっている叔父さんが帰ってきたら絶対手伝ってもらって「エゴマ油」つくりたい。叔父さんはね、まだ若いけどヒゲだらけでサバイバル関係が好きそーだしね。
以下はウェブで調べた(エゴマ)雑学
Wiki「エゴマ」
日本ではインド原産のゴマよりも古くから利用されている。長野県の荒神山遺跡で発見された縄文時代中期の遺物からエゴマの種子が見出されており、当時から栽培され、盛んに用いていた可能性がある(縄文農耕)。
エゴマ油は種子から絞った油で荏の油(荏油)ともいわれ、食用に、また乾性油なので塗料用(油紙、番傘など)に用いられる。
中世末期に不乾性油の菜種油が普及するまでは日本で植物油と言えばエゴマ油であり、灯火にもこれが主に用いられた。しかし、菜種油の普及と共に次第にエゴマ油の利用は衰退し、乾性油としての特質が不可欠な用途に限られていき、知名度は低くなっていった。韓国などでは、日本よりも一般的に使用されつづけている。
1990年代後半以降、エゴマ油がα-リノレン酸をはじめ、体脂肪の燃焼を助けるなど、健康によい成分を持つことが注目され、再び日本の食品市場に現れるようになった。しかし低いエゴマ油の知名度が商品展開上不利と見たのか、「シソ油」の商品名で市販されていることが多い。このため韓国のエゴマ油と日本のシソ油を別の物とする誤解も生まれている。

「エゴマの会」
http://blogs.yahoo.co.jp/cocoro3sai/43449378.html
エゴマの原産地はインド高地より中国雲南省の高地と推定され、ここから中国、韓国、日本に入ったといわれています。
エゴマは一万年~5,500年前の縄文時代から日本人に作られ食べ伝えられてきました。
5,500年前の遺跡7ヶ所からエゴマが出土しています。(福井県三方町の鳥浜遺跡、長野県諏訪市の荒神山遺跡など)。ですからエゴマは日本最古の油脂植物といえそうです。


エゴマが油として使われるようになったのは平安時代初期で、
山城国(京都)大山崎神宮宮司がエゴマから油を搾ったことに始まるといわれています。エゴマ油は食用の他、灯籠や提灯の燃料として、また、傘や雨合羽、さらに建築家具の塗装としても用いられていました。また戦国時代(1,500-1,568)には美濃(岐阜)城主斉藤道三が若い頃エゴマ油の行商人として財をなしたといわれています。鎌倉時代から徳川幕府中期までの800年間、日本はエゴマ油の全盛時代でした。しかし、江戸時代後期になたね油が広まり、エゴマを作る人が少なくなりました。明治に入り満州(中国東北地方)や朝鮮より、安いエゴマの輸入により国内生産は激減し、今は、福島県、岩手県、岐阜県、宮城県などの一部に自家用伝統食として残るだけとなりました。
油の行商人の話は↓ けっこーおもしろいよ
http://www.abura-ya.com/rekishi/rekish6.html

行灯って、こういう絵↓で見ると、なんか怖そうで…




で、↓が私の「フィールドノート」。小さな庭だけど、鳥が来たり、蝶が蜜を吸ってたり、名前も知らなかった小さくてきれーな花が咲いてたり、毎日どとんどん変化していく。いまは2年前と同じケータイで記録してるけど、ほんとはソーラーケータイにしたいの。だってエコでしょ?そっちのほうが。





でも、ママはOKしない。「エコノミーじゃないから」って。
わかってないんだよなぁ。
わが家のミニガーデンは梅雨になると
いっきに緑のジャングル↓になっちゃいまーすσ(^_^;)