2009/07/02

フィールドノート一部公開

これ、私のうちのミニハーブガーデン。小さな庭だけど、ママのハーブづくりと、私のエゴマづくりを競争してます。ママは、料理好きだから、ぜんぶ食べちゃうけどね。なぜ「エゴマ」? 焼き肉屋さんでお食事したときに「これ、なに?」って聞いたら、おじいちゃまが「いまは韓国料理専門みたいに思ってるけど、昔はいろいろ使われていたらしい。戦国時代、知ってるだろ?織田信長の頃にいた斉藤道三という戦国武将が若いころに、このエゴマの油を売っていたらしいよ。その頃の日本は油を燃やして灯りにしてたんだ」って。ママは「チャングムの誓い」と「チュモン」ですっかり「歴女」になってたから、「なみさん、あなた育ててみない?」だって。



歴女のススメはともかく、家は太陽光発電と燃料電池つけてるけど、昔のニッポンの家の灯りって、こんなサラダみたいなのからとってたんだ、と思ったら、すごくおかしくて…で、栽培してみることにしたの。だってなんか、究極のバイオマスっぽいし、再生利用エネルギーそのものじゃん! ってはじめたのはいいけど、育った!と思うとママが料理に使っちゃって、まだ「エゴマ油」はできてません(‥;) 砂漠緑化の仕事でモロッコにいっている叔父さんが帰ってきたら絶対手伝ってもらって「エゴマ油」つくりたい。叔父さんはね、まだ若いけどヒゲだらけでサバイバル関係が好きそーだしね。
以下はウェブで調べた(エゴマ)雑学
Wiki「エゴマ」
日本ではインド原産のゴマよりも古くから利用されている。長野県の荒神山遺跡で発見された縄文時代中期の遺物からエゴマの種子が見出されており、当時から栽培され、盛んに用いていた可能性がある(縄文農耕)。
エゴマ油は種子から絞った油で荏の油(荏油)ともいわれ、食用に、また乾性油なので塗料用(油紙、番傘など)に用いられる。
中世末期に不乾性油の菜種油が普及するまでは日本で植物油と言えばエゴマ油であり、灯火にもこれが主に用いられた。しかし、菜種油の普及と共に次第にエゴマ油の利用は衰退し、乾性油としての特質が不可欠な用途に限られていき、知名度は低くなっていった。韓国などでは、日本よりも一般的に使用されつづけている。
1990年代後半以降、エゴマ油がα-リノレン酸をはじめ、体脂肪の燃焼を助けるなど、健康によい成分を持つことが注目され、再び日本の食品市場に現れるようになった。しかし低いエゴマ油の知名度が商品展開上不利と見たのか、「シソ油」の商品名で市販されていることが多い。このため韓国のエゴマ油と日本のシソ油を別の物とする誤解も生まれている。

「エゴマの会」
http://blogs.yahoo.co.jp/cocoro3sai/43449378.html
エゴマの原産地はインド高地より中国雲南省の高地と推定され、ここから中国、韓国、日本に入ったといわれています。
エゴマは一万年~5,500年前の縄文時代から日本人に作られ食べ伝えられてきました。
5,500年前の遺跡7ヶ所からエゴマが出土しています。(福井県三方町の鳥浜遺跡、長野県諏訪市の荒神山遺跡など)。ですからエゴマは日本最古の油脂植物といえそうです。


エゴマが油として使われるようになったのは平安時代初期で、
山城国(京都)大山崎神宮宮司がエゴマから油を搾ったことに始まるといわれています。エゴマ油は食用の他、灯籠や提灯の燃料として、また、傘や雨合羽、さらに建築家具の塗装としても用いられていました。また戦国時代(1,500-1,568)には美濃(岐阜)城主斉藤道三が若い頃エゴマ油の行商人として財をなしたといわれています。鎌倉時代から徳川幕府中期までの800年間、日本はエゴマ油の全盛時代でした。しかし、江戸時代後期になたね油が広まり、エゴマを作る人が少なくなりました。明治に入り満州(中国東北地方)や朝鮮より、安いエゴマの輸入により国内生産は激減し、今は、福島県、岩手県、岐阜県、宮城県などの一部に自家用伝統食として残るだけとなりました。
油の行商人の話は↓ けっこーおもしろいよ
http://www.abura-ya.com/rekishi/rekish6.html

行灯って、こういう絵↓で見ると、なんか怖そうで…




で、↓が私の「フィールドノート」。小さな庭だけど、鳥が来たり、蝶が蜜を吸ってたり、名前も知らなかった小さくてきれーな花が咲いてたり、毎日どとんどん変化していく。いまは2年前と同じケータイで記録してるけど、ほんとはソーラーケータイにしたいの。だってエコでしょ?そっちのほうが。





でも、ママはOKしない。「エコノミーじゃないから」って。
わかってないんだよなぁ。
わが家のミニガーデンは梅雨になると
いっきに緑のジャングル↓になっちゃいまーすσ(^_^;)



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