2009/07/02

ミツバチとパパ



歩いて15分くらいのところに利根川の土手があって、パパはお休みになると自転車でエコツアーなんていいながらラジコンヘリを飛ばしに行く…うるさいじゃん、虫だって鳥だってカワイソーって言っても聞こえないふり。ウェブに「ミツバチが巣箱から大量失跡する「蜂群崩壊症候群」(CCD)が、2006年秋以来、欧米各地に広がっている。ふだんはパンに塗るハチミツやプロポリスなどの製品ぐらいにしか目が向かないが、たった1種の昆虫が農業を支えていたことを改めて思い知らされ、世界はミツバチ・ショックに見舞われた」石弘之:「地球危機」発 人類の未来
http://eco.nikkeibp.co.jp/article/column/20090612/101620/
って書いてあったのを読んで気になったから、話題になった「ハチはなぜ大量死したのか」↓文藝春秋社刊も図書室で借りて読んだけど、こんなふうに土手でいっしょうけんめいはちみつを集めてくれているミツバチのジャマするって、パパだめじゃん。


この本を読んだきっかけは↓の朝日新聞 2009年4月20日付 「天声人語」
「いまや死語に近いが、「月下氷人」といえば男女の間を取り持つ仲人役をさす。中国の故事に由来している。幻想的なその言葉を借りれば、果物や野菜が実を結ぶのに、ミツバチは不可欠の月下氷人なのだという。花粉にまみれて受粉の仲立ちをしてくれる。他の昆虫も媒介をするが、ミツバチの組織力は群を抜く。巣箱一つに数万匹もいるそうだ。サクランボにイチゴ、メロン……スイカもお世話になる。だが、活躍の季節なのに、今年は深刻なハチ不足が農家を困らせている。近年、ミツバチの大量死が増えていた。加えてセイヨウミツバチの輸入が、伝染病の影響などで止まっているためらしい。やむなく毛ばたきなどを使い、人工授粉でしのぐ農家も多いと聞く。収穫への影響が早くも心配されている。ミツバチの世界で、何かが起きているようだ。北米では大挙して巣箱から失踪(しっそう)する異変が広がった。原因を探った『ハチはなぜ大量死したのか』(文芸春秋)を読むと、人為でゆがんだ自然の歯車が、きしむ様子が見てとれる。『実りなき秋』が、本の英語の原題だ。人は思っているよりずっと、ミツバチをはじめ授粉昆虫の恩恵を受けているという。自然界の月下氷人が消えていけば、花は咲いても実を結ばず、むなしく萎(しお)れるばかりである。〈蜂の屍のかろく乾ける浄(きよ)らにて落花のほども媚(こ)びることなし〉斎藤史。だが北米の大失踪は、そのハチたちの死骸(しがい)も見つからぬ不可解に包まれているそうだ。小さきものの異変が、大きなほころびの兆しでなければいいのだが」
怖いくらいドキドキさせられたけど、表紙の写真がキモイのでカバー付けてとってある。番組とかでも取り上げられてて、日本でも「消えたミツバチ」があちこちで話題になっていた。






私のカバンにいつも入っている2冊の文庫本もついでに紹介しちゃいます。教えてくれたのはママ。高校一年の夏休みに「沈黙の春」を読んだのが、最初。レイチェル・カーソンっていう女性が1962年に書いた環境破壊の本だけど、ママたちはみんな読んだって言ってた。



上遠恵子という人がウェブの紹介ページに書いた文章も印象に残ってる。
「しゃにむに走り続けてきた二十世紀だった。カーソンは『沈黙の春』の最終章“べつの道”の冒頭でこう語る。“私たちは、いまや分れ道にいる。だが、ロバート・フロストの有名な詩とは違って、どちらの道を選ぶべきか、いまさら迷うまでもない。長いあいだ旅をしてきた道は、すばらしい高速道路で、すごいスピードに酔うこともできるが、私たちはだまされているのだ。その行きつく先は、禍いであり破滅だ。もう一つの道は、あまり《人も行かない》が、この分れ道を行くときにこそ、私たちの住んでいるこの地球の安全を守れる、最後の、唯一のチャンスがあるといえよう。とにかく、どちらの道をとるか、決めなければならないのは私たちなのだ”と言っている。四十年まえのこの先見性のある提言を私たちは生かして来なかったのではないだろうか」
http://www.shinchosha.co.jp/shinkan/nami/shoseki/519703.html



もう一冊もカーソン。[センス・オブ・ワンダー]↑。Amazonの案内↓コピーしときます。
「 本書で描かれているのは、レイチェルが毎年、夏の数か月を過ごしたメーン州の海岸と森である。その美しい海岸と森を、彼女は彼女の姪の息子である幼いロジャーと探索し、雨を吸い込んだ地衣類の感触を楽しみ、星空を眺め、鳥の声や風の音に耳をすませた。その情景とそれら自然にふれたロジャーの反応を、詩情豊かな筆致でつづっている。鳥の渡りや潮の満ち干、春を待つ固いつぼみが持つ美と神秘、そして、自然が繰り返すリフレインが、いかに私たちを癒してくれるのかを、レイチェルは静かにやさしく語りかけている。レイチェルが最も伝えたかったのは、すべての子どもが生まれながらに持っている「センス・オブ・ワンダー」、つまり「神秘さや不思議さに目を見はる感性」を、いつまでも失わないでほしいという願いだった。そのために必要なことは、「わたしたちが住んでいる世界のよろこび、感激、神秘などを子どもといっしょに再発見し、感動を分かち合ってくれる大人が、すくなくともひとり、そばにいる」ことだという。本文中に挿入されているメーン州の海辺、森、植物などをとらえた写真も美しい。『沈黙の春』と同様、読者の魂を揺さぶらずにはおかない1冊である。(清水英孝) 」
ここに書かれていること、ほんとうにそのままで、よく行く利根川の土手や渡良瀬遊水池のこととか思い浮かべながら読んだせいか、茨城のワタシのところの自然と、まだ行ったことのないメイン州の自然とがそのまま重なって思えたりもして大切な一冊なんだ。



叔父さんに言わせるとメイン州はスティーブン・キングの小説の舞台になることが多くて、怖い物語がいっぱいあるんだぞ、だって。で、「IT」↑っていう4冊もある文庫本をくれたのね。表紙が怖そうだからずっと読まなかったけど、今年の春休みに読みはじめたら止まらなくなっちゃって…怖いけど、とてもせつなくなる成長物語に、ワタシ的には思えた。主人公達が過ごすメイン州の少年時代の描写って、そのままカーソンの2冊につながっていく気もしたり…





ソーラー付きハイブリッドにしたりとかは素早いし、できるだけ自転車乗ってるのはエコにもメタボ対策にもOKだけど、騒音だってantiecoじゃん、中年ってそーいうとこ鈍いんだなぁ。いつか「わが家的愚行集」つくるとしたらパパのラジコン好きは最初の1ページ?

ところで春の間は芥子菜の海みたいな土手が梅雨の間に、どんなふうに変わっていくかというと…じゃーん!



こんなふうに緑一色のグリーンフィールドになっちゃいまーす。アザミとかプラックアイドスーザンとかがところどころに咲いて、カエルや虫の合唱と、鳥のさえずりがスゴイの。いろーんな音が聴こえてきて目をつむっていると自分がどこにいるのか、わからなくなったりします。パパは、こんな場所でバカでかい音のラジコン遊びしてるんだ、と思うと…やっぱ、愚行?
プラックアイドスーザン↓

2 件のコメント:

  1. あっ!
    この場所知ってます
    この黄色い花、菜の花に似ているけど
    実は芥子菜なんですよ~
    知ってました?
    この場所の上流にある渡良瀬遊水地の近くに
    芥子菜のおひたしを売っている売店
    があって、いつか食べてみたいな~
    なんて思ってます

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  2. 芥子菜は3ヶ月後の7月3日現在、一面の野草と一部黒い瞳のスーザン?らしき花に変わってました。あと、アザミもね。

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